「あとからくる者のために」

「あとからくる者のために」

あとからくる者のために

苦労をするのだ

我慢をするのだ

田を耕し種を用意しておくのだ

あとからくる者のために

みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくるあの可愛い者たちのために

未来を受け継ぐ者たちのために

みな夫々(それぞれ)自分で出来る何かをしてゆくのだ

この詩は、東日本大震災の後にも、この詩は被災地の方々や復興事業に携わる人たちの「想いを共有する詩」として各地で使われました。コロナ禍の中で、これからの生き方を真剣に考える人達が、「生き方を示す詩」として再びこの詩を使うようになっています。

さらに、最近では、コロナ後も含めて、これからの人類の開発目標として採択された「SDGs」を分かりやすく表現する詩として、大学や企業等で使われ始めています。

坂村真民の生き方は、厳しく自分を律して、余分なものを持たず、衣食住すべてに質素で、慎ましい生活を信条として生きてきました。周りに困った人や、悲しみに暮れている人を見ると、その人にそっと手を差し伸べ、共に悲しみ、共に生きてゆくことを生涯貫いた生き方でした。そういう真民の生き方を、そのまま、素直に表現したのがこの詩です。

見栄を張らず、贅沢をせず、周りの人を気遣い、家族とともに、幸せに生きるために、心掛けることを詠った、いつの時代にも通用する、「人間として生きるための詩」です。

引用:坂村真民先生「あとからくる者のために」
坂村真民記念館 館長 西澤 孝一様の内容から抜粋
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「あとからくる者のために」

「あとからくる者のために」

お恥ずかしながら、最近になってこの詩の内容を知る機会がありました。

とある小学校の校長先生が、この言葉を座右の銘にしているのだとか。

私は今年で42歳になります。その中で、自分の中のある変化に気が付きました。

私は自分で言うのもなんなのですが、あまり目立つことはしたくない、興味のないことはしたくない。こんな控え目なタイプの人間です(笑)。

未来を受け継ぐ者たちのために

小学校の役員となって、学校の役に立ちたい。息子がお世話になっているサッカー少年団のお手伝いがしたい。

そんな控え目の私が、最近こんなことを思うようになりました。

この詩を読んだ時、ああ、人間ってこんな風に思うようになっていくものなんだな~と妙に納得したんですよね。

そういえば、地域で店をやっていたじいちゃんや両親も、こうだったなぁと。いつも誰かの為に働いている後ろ姿と、この詩の内容が重なりました。

あとから続いてくる、あの可愛い者たちのために。

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